病気やケガをすると「バチが当たった」などという。
でも"バチ"が当たるということは、そこには原因だけじゃなく、何かしら意味もあるということ。本人がそこから学ぶべき点があるからこそ起こるとしたら、あながち悪いものではないのかもしれない。(本人は辛いけど)
それに"バチ"は突然に現れるわけじゃない。積もり積もった結果が、認識できる苦痛として現れるだけ。僕を含め、多くの人々は、この日々つもりゆく"バチの欠片"の存在に気付けない。いや、中には気づかないフリをしている人もいる。
"バチの欠片"が"バチ"となる前に、一体どこまで僕はアプローチが出来るのだろうか…。
そんなことを、痛めた首をさすりながら考えている。苦笑
今回はどんなメッセージが隠されているのだろう。
「まだまだ手緩いぞ」なのか…
「休んだほうがいいよ」なのか…
ハッキリとした答えは分からないけど「動からのアプローチ」の必要性を今なお、強く感じている。