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仏教と恋愛のジレンマと神様

ここ数ヶ月、仏教とその心理学を学ぶことに集中していた・・・と言っても、仏教関連の本をKindleで読み漁っていただけなんだけれども。そんな中、ずっと疑問に浮かんでいるのが、仏教と恋愛のジレンマ。

 

仏教を一言で言うと「執着しないことに執着することで、苦からの解放(解脱)を目指すという自己鍛錬プログラム」と僕は捉えている。それに対して、恋愛や結婚システムとは「他者に執着する」という証に見えてしまう。「相手に囚われなければいいのでは?」とも思うけど、そもそも囚われないような相手と付き合う意味は無いだろう。

(※恋愛や結婚システムの無意味さについての議論もあるが、今回は置いておく)


「お金を持っても、それに囚われない」ということは理解も実践も出来るとは思うけど、対象が人間となると難しい。恋愛や結婚というシステム、それ自体が執着を、苦しみを生み出すシステムなんじゃないかと。


将来的にはどんなパートナー(あるいは自分)であっても亡くなる。その時を想像すると、悲しみ・苦しみに包まれることは想像に難くない。もちろん、その分、パートナーがいなければ分かち合えない幸せもあるのだろうけど、苦しみと天秤にかけたときにどうなるのか。


「こういう苦悩が存在するから、結婚が戒律で禁止されているのかもしれない」…そんなことを考えているうちに、自分の中で現実世界と仏教に対するバランスの悪さが感じられるようになってきた。もちろん、仏教の考え方は現実世界、特に人間関係ですごく使えるし、そもそも僕自身がまだ勉強中なので、認識自体に間違いがあるのかもしれないけれど。


実は仏教に興味を持ち始めたのは、海外で仏教の説明を求められたときにうまく説明できなかったことがキッカケだった。なので、もう1つの日本の宗教、神道にも興味はあり、仏教を学ぶ中で、その仏教と融合した宗教として俄然興味をそそられるようになっていった。


元々、僕の家は神道なんだけど、特に興味を持つことも勉強することもなくこれまで生きてきた。ふとしたキッカケで学び始めたけど、知れば知るほどに面白さを感じる。恋愛や結婚という観点から見ると、神道はかなり容認・推進派のように見える。そもそも国生みの段階から男女の話だし、現実世界においても男根を祀っているような神社もある。


僕の好きな本の1冊に「神との対話」という本のシリーズがある。結構読むのを試される本。内容自体は面白いんだけど、かなり長いので最後まで読む人が僕の周りでも滅多にいない。1冊読み終わって安心すると、第2部があってこれが1部より長く、さらにその2部より長い第3部がある。これで終わらずに、続編の上下巻が存在し、続々編、続々々編、続々々々編…という、どこまでも読者をゾクゾクさせてくれるシリーズ。笑


ただし、内容は濃厚。成功・性・人間関係…人が疑問に思うであろうこと、そのほとんどに神様が答えている。世の中で自己啓発と呼ばれるジャンルの本は、この本から切り取って言葉を変えて書いてるんじゃないかと思うくらい。


紹介が長くなってしまったんだけど、この中の神様の持つ柔軟性ある思考と神道が結びついて、柔軟性ある生き方を目指す僕にとっても、現実的な物事を考えたときにもしっくりくるようになり、神道が現実的にみて調和されたものとして自分の中に受け入れられつつある。そもそも経典のようなものが無いということも大きいのかもしれない。


自分の国のことを知る上で宗教を学ぶということは大切。ただそれは改宗したりするのが目的といったことではなく、ダライ・ラマ氏が言うように「いい生き方をすればいい」ということに尽きる。つまり、考え方や生き方などいいとこ取りをしたらいいんだ。ただし、関心が無いからといって、宗教を含め自分の国のことを話せないのは不自然。ということで、まだまだ僕の勉強は続く。