『健康とは何か?』
健康という道を生きる者としての使命なのか。はたまた、ただの趣味なのかはわからないけど、そう自身に問うのが僕の日課だったりする。いや、日課というと言い過ぎだけど、たまに考える。
美容師が美について、作家が書く行為について考えるのと同じだ。
『健康とは何か?』
ー1番大切なもの
ー1番忘れがちなもの
ー便利への抵抗力
ー愛
ー欲望
そんな言葉が出てきたこともあった。
今日頭に浮かんできたのは
ーI LOVE MEの集大成
という言葉だった。
真に自分を愛するということは、自分を大切にするという”行為”であり、自分を大切にするということは、自分を健康に保つという”行為”だ。”気持ち”じゃない。
真に生きようとしている人は、健康を気にする。また、己の価値を己で決め、その”価値”を知るものとして、それに相応しい扱いを自分自身に対してする。
社長がベンツやジャガーに乗るのは、自分が失われること、その損失の大きさを自身で理解しているからだ。彼(女)らがいなくなれば、路頭に迷う社員が出るかもしれない。
もちろん、そういった高級車を買えるだけの人間だということを周りに示すことにもなるのだけれど、そう示すこともまた自身の安全を得ることに繋がる。(ジャガーが走ってたら道を譲るよね?笑)
彼(女)らの多くはもちろん健康も気にしている。それも同じ理由。
健康を気にしない人は、己の価値を過小評価している人か、そもそも自身で評価すらしていない人だ。
自分のことは自分がよく知っているようで、実は知ろうとしなければ知ることは出来ない。『自分の声を聞く』などと、それらしく抽象的に表現されることがあるけれど、多くの人はそれがよく分からない。
端的に言えば、自分の小さな変化に自分で気づくことだけど、多くの人はその小さな変化に気付いても無視をすることが習慣になっている。他者の髪型やファッションの変化によく気づくことはその人を喜ばせることに繋がることを僕らは知っているが、その矢印の方向を自分に向けている人は少ない。
最近は”健康に対するスタンス”は、人間関係における”他者に対するスタンス”と比例するんじゃないかなと感じている。
愛には自己愛しかないし、自己愛の形の1つが健康を気にすることで、その”自己”を規定する自我の範囲は広げることが出来る。その範囲が広がったときに、人は自分と同じように他者を愛するようになるからだ。
もちろん、健康を気にする”度合いの差”で優越感を味わっているような人はその範疇ではないんだけど、それでもその人は他者をも愛することが出来る潜在能力は秘めてはいる。謙虚になって、自分と他者を許すことが必要なだけだから。
まずは自分を”自分にとって本当に大切な人”として、それらしく扱うことがスタート。
もっと自分を喜ばせましょ。
ただし、真にあなたの身体が喜ぶことで。