僕はミニマリストというわけではないけど、比較的持ち物が少ない。*1
今あるのは、スーツケースとバックパックのみ。
日本を出るときは荷物でいっぱいだったスーツケースが、今ではその半分が空だ。バックパックも入ってしまう。あの日本を出る当時、何が入っていたのだろうかと不思議に思う。
仏教を学ぶ中で”モノに対する執着”をどんどん手放していったのかな?なんて思ったりもするけど、シンプルにいつも通りのポリシーを発揮し続けた結果に過ぎないのかもしれない。
- 困ったら1度捨て、必要であれば再度買う
- 買うときは何かを捨ててから
僕がモノに対して持つスタンスはこの2つだけ。まず、捨てることから始める。この辺りは、『まず何を摂らないか』と考える、僕の健康における食事のスタンスと一緒。
僕の見えている世界の主人は僕しかいないわけで、あなたの世界の主人はあなたしかいない。その”世界”を主体的にコントロールするには、やはりモノに対するスタンスも大切なのかもしれない、と最近は思う。
要するに、モノにコントロールされず『自分にとって、何が大切か分かっている』という状態が大切。
大切と思い込んでいるものが、実は1番要らないものだったり、要らないと思って手放してみたら、実は必要だったり・・・そんな風に、厳選していく作業というのは、モノを通して、新たな自分に気付けるチャンスだ。
僕もそうだけど、自分で自分のことを完璧に客観視できている人はいない。でも、そんな僕らでも、自分が選んだ、あるいは選んできた”モノ”を通して『自分』という一面に触れるということはそんなに難しくない。
僕は自分自身の持ち物が少ないからといって、ミニマリスト(最小限主義者)がいいとも思わなければ、マテリアリスト(物質主義者)がいいとも思わない。そういった”ジャンル分け”は分かりやすくはあるけれど、個人の趣味関心・衣食住のバランス・ライフスタイルなどによって、いかようにも変わる。*2
大切なのは、イマ・ココで、ナニが大切かを分かっていること、それだけ。
それさえ分かってたら、モノの多少は問題じゃない。
モノに問われているのはソコだけだと思う。