治す・治さないという議論・葛藤。
見える世界と見えない世界。
肉体感覚と感情。
技術力と経営力のバランス。
「痛みを追いすぎない」のは手技療法家のスタンスだったりするわけだけど、
受け手にしてみれば、それをどこまでも追いかけて消して欲しいわけで、
でも身体からしたら、その痛みのある状態がベストな状態なわけで、
それぞれにそれぞれの都合(プロセス)があって、イマココがあるわけで。
セッション(即興演奏)のような意味合いを持つ世界ゆえ、
その性質上、一方的に「治してもらう」というスタンスで、
自分の身体に自分で責任を持っていない人ほど、
改善が見られにくかったりもする。
筋肉や骨、腱、筋膜など、ヒトを細分化…つまり「モノ化」して見ることは出来るし、
そうして原因らしきもの原因と言ってみて、やる人も多くいるのだろうけど、
人間の身体は全て繋がっているわけで、車のタイヤ交換のようにはいかないわけで。
自分の身体に対して、自分でどこまで責任を持つのか?
そのスタンスは大切。
「カルマ」なんて聞くとおどろおどろしく聞こえるけど、
原因があって結果があるという話に過ぎない。
今ある状態にたどり着く、これまでの過程、
そして、今ある状態の、その必然性を探る。
肉体感覚はあらゆる答えを教えてくれる。
「人は人を変えられない」と同様「人は人を治せない」。
「変えられるのは自分だけ」と同様「治せるのは自分だけ」。
「人体」という歴史ある神秘と奇跡の結晶に対して出来るのは、
本当にわずかな"オテツダイ"に過ぎない。
考えながら、内省しながら、葛藤を味わいながら、
その"オテツダイ"に全力を尽くし、振り切って、人体の力を信じる。
目指すべき姿、世界が少しずつ見え始めた。
そんな6ヶ月。