「今を生きる」っていうタイトルをつけてるけど、その「今を生きる」ためにはどうすればいいかっていうと、五感を感じ、その五感を味わうこと。
普通に生きてると、1日の生活の中で五感を味わうことってない。
スマホを見ながらご飯を食べたりとか、なにかをしながら別のなにかをするっていうことが当たり前になっていて、五感を感じ、そこに意識を集中して、味わうっていうのがものすご〜く難しい時代に生きている。
だから、ある意味、感覚に集中することってのが1つの贅沢というか、エンターテイメントになっている。
アイソレーションタンクっていうのが、その代表的な例だけど、スポーツ観戦とかもそう。
あとは、海とか山とか、自然の中に行ったり、その自然の中でキャンプなどのアクティビティしたりっていうアウトドアが流行ってるけど、それもまた、非日常の中で感覚に集中する時間を取ってるっていう風にも見ることができる。
あとは、温泉に入って心地よさを味わったりするのとか、美味しい食事をしっかり噛み締めて味わうのもそうだし、瞑想とかマインドフルネスってのもそうだね。
自然の中とか、場の環境を変えたほうが感じやすいのは確かだけど、特別なことをしなくても、この五感にきちんと意識を向けさえすれば、誰しもその感覚に集中することで、今を生きることはできる。
「ゾーン」ってのも、この状態なのかな。
例えば、スマホを触るときに、重さを感じ、質感を感じ、画面のタップする感覚もしっかり捉えて感じる。
例えば、洗濯物をたたむときに、繊維の質感を感じながら、光の加減によって違う色に見えることも感じながら、折りたたむときの反発力も手で味わう。
・・・みたいな感じで、自分の体・五感で感じられる、1つ1つの感覚を丁寧に拾ってみる。
自分を、上からもう一人の自分が見て、実況中継してる感覚。
年を重ねると、人は花を愛でたり、木を愛でたりする人が増えるけど、それもこの五感を味わっているのかもなって思ったりもする。
子供のころは無意識で出来ていたことが、歳を重ねることによってできなくなり、再び体験・学習しながら、その感覚を取り戻していってるのかなって。
瞬間瞬間、自分の肌感覚を感じながら生きられれば、不安や悩み、希望や展望といったものの関係ない世界に入る。
感覚を感じてるときは「今」という1点にしか、自分は存在することかできないわけだから、未来に対する不安や展望、過去に対する後悔とかも考える余地がない。
だから、今を生きることは、人がその人らしく生きることに繋がる。
感情に振り回されてる人、忙しい人、慌ててる人、そんなあなたは、1度、息をゆっくり吐き、目をつむり、自分の体の感覚に意識を向けてみよう。
ゆっくり落ち着いた時間を過ごすために、今をないがしろにするのは本末転倒。
あえて、落ち着かないとき、忙しいとき、慌ててるときほど、自分の体の感覚を感じる時間を1度、とってみよう。
色眼鏡をつけていたっていう現実に気づけば、違う現実が見えてくる。