以前に「死への体験旅行」と「自分への弔辞を書く」というワークをした。
死への体験旅行っていうのは、下のリンクにあるようなもの。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyorinmed/40/1/40_1_2/_pdf
自分が死に向かっていく中で、自分にとって大切なものを1つずつ手放していき、最後には、自分にとって大切なものもすべて、なにもかも失う。
自分が死ぬときに、実際に起こる世界を仮想体験し、自分にとって死がどんなものなのかを理解することができるというワーク。
自分の人生にとって、なにかが大切なのかを体感として理解することができる素晴らしいワークだった。
で、弔辞を書くっていうのは、その死を仮想体験したあとで、今度は死後の世界をイメージして、誰にどんな弔辞を読んだもらうかも考えて、自分で書くっていうワーク。
これは、自分が人生で、どんなことを残したいかっていうのが自分の中でハッキリとするワークだった。
そんな2つの死と向き合うワークを通して、自分の人生が限られたものということを体感し、その限られた時間の中で、どんな風に優先順位をつけて生きていけばいいのか、ある程度の指針がつけることができた。
ただ、実際にそのワークをやったとしても、時間が経つと、やっぱり、日々の生活の中で、当たり前に感じてしまうことが増えて、ついつい、なにが大切なのかって見失ってしまう。
そして、そんなときに限って、身近な人の訃報によって、改めて、自分の人生にとってなにが大切なのかを考えさせられる機会を与えられたりする。
自分の人生にとって大切なことを考えたり、なにを自分の人生で残したいかを考えたりしてみたけど、最終的には「やりたいことを、しっかりやろう」っていう答えにたどり着いた。
ついつい「やりたい」「やってみたい」って感じたときに、お金とか時間とか、いろいろと出来ない理由ややらないくていい言い訳を先に考えてしまう。
でも、そういった言い訳をいったん脇に置いといて「どうやったらできるか?」っていう頭で考えるように癖づけしよう、そんな風に改めて思った。
この世の中は「体験」を楽しみにきた旅行。
この肉体で、体験したいと思ったことは、1つずつ全部やっていこう。